都会の暮らしにちょっと疲れた貴方・貴女へ。
  ゆっくりと時の流れる沖縄・碧海から癒しのアイテムを提案します。
 
 
■ 碧海の由来
■店長と『碧海』の出会い

“「碧海」の名前の由来を教えて”。

会う人によく聞かれるんだけど、独立起業を心に決めていた時から「沖縄の青い海」っていう意味合いのネーミングを考えていたんだ。

やっぱり、沖縄の青い海に出会って自分自身が変わったし、それまでの人生観も変わった。沖縄の青い海から色々なことを教わり、そして感謝する気持ちが大きくなった。

だから、ショップの屋号だけは絶対こだわった。「沖縄の青い海」を、聴覚障害者であり発音もそんなにうまくない私でも言いやすくて、ヘンだけれども覚えてもらいやすい名前で。

そしたら候補がいくつか挙がってきて、最終的に「蒼海」という漢字で、読み仮名を「そうかい」ではなく、沖縄方言で「おおさるうみ」と読もう、と。 のちに「青い」という方言が「おおさる」になることを地元のうちなーんちゅでさえも意外と知られていないことを知って、使うべきか使わざるべきか、時間をかけてじっくり考えた。

だけど、もっと沖縄方言の奥底に眠ってるボキャブラリーを、この機会に使ってあげてもいいんじゃないかと思い、〜沖縄の青い海〜 その名通りに「蒼海」で「おおさるうみ」に決定。

・・・・のはずだった。

開業日が近づいたある日。1人のアドバイスがこの屋号の運命を変える。

「蒼い」と「碧い」とでは同じ「青い」でも、それぞれにまた違った意味を持ってると思うんだ。

私が感じる沖縄の青い海ってゆうのは、「癒してくれる優しい海」だと。 今までに見た沖縄の海って言うとコバルトブルーだったり、時にはエメラルドグリーンだったり。 音符のように奏でてくれる透き通った色合いの海が私の疲れ切った心をほぐしてくれて、何度もまた沖縄に来たいって思うようになったほどだし。

まだ東京に住んでいた頃にダイビングでよく通ってた伊豆の海は、どちらかというとダイナミックで濃い海だと思ってた。
だから伊豆や太平洋の海は「蒼い海」と呼ぶのが相応しいと思うけど、沖縄の海はやっぱり青緑色とした「碧い海」が似合うなぁと。それで「蒼海」を 「碧海」に変更することを決定。碧色は青緑色とも言うように、沖縄の優しい海の色にピッタリだな、今さらながらに言うけど。

それにしても個人開業届を出す前ぎりぎりに決まって、ホントやれやれ〜!と思いました。(苦笑)

■碧海とラ・メール・ブルーの位置付け

フランス語で“沖縄の碧い海”を「la mer bleue okinawa」とも言うんだけど、これには深い意味があると思うんだ。

日本語で書く漢字の「海」の右半分下には、いつでも常に「母」がいる。黒々と底深い「うみ」の意味であり、 つまりはすべての“生命の母”であるところの海を表しているかもしれない。

今から約40億年も前、生命は海中で誕生した。やがて生命は単細胞生物から多細胞生物へと姿を変え、陸に。

陸に上がった生命の末裔(まつえい:子孫)が今、生きている私たち。“海”は生命の遥かな始源なのである。  いのちの究極の故郷が“海”なんだよ、と。

そしてもう1つ。
フランス語の“母”という意味の「mere」の中に、“海”という意味の「mer」が位置付けられている。
漢字の「海」とは逆に、“母”の中に“海”がいるのである。 つまり、これは母の胎内に存在する海のことではないか。

受胎し胎児が母体外に現れるまでの約十ヶ月の間、胎児は生命の歴史を早回しで体験する。

羊水の中で、生命が海に生まれやがて陸に上がっていく過程を復習する。私たちの中にも“海”がある。

ただ日本語とフランス語の違いなだけでも、世界共通して言えるものが1つあるとするならば、やはり海を見ていて、 ひろやかでどことなく安心した気持ちになれるのは、もしかしたらこの海の中に“偉大なる母”がいるからなんだと思うんだ。

吸い込むように包んでくれる広い空が父なら、同じ生命を分けてくれた海はやはり母だ、と。
それは多分、「自分の中の海」と「大いなる海」が呼応しているからなのかもしれない。

私たちが、そして私たちの内なる海が感じているのは、いのちの究極の故郷への”郷愁”なのかもしれない。

海がこの世にある限り、生命の誕生はこれから先も絶える事なく連鎖的に続くであろう。
私は碧海に感謝しつつ、今日この日も生かされている事を大変嬉しく思う。

これからはこの私と、そして大切なお客様みんなで作る「碧海」。
どうぞ温かい目でみて、応援してくださいネ。